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♪うらメロ♪ブログ  

TAKAYUKIについて

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TAKAYUKIのピアノの演奏はようやく、本当にようやく
人の心を動かす力を持つようになりました。

このポスターはTAKAYUKIの初リサイタルの時のものです。
彼は自閉症的ハンディーキャップを持つ人です。
彼の内面的イメージをポスターで表現してみたいとけっこう気合いを入れて作りました。

コンサートの場所はヤマハ横浜店3階サロンです。

ここで単独のリサイタルが出来たことは今思えば奇跡的なことでした。
当時の店長である夏目さんが非常にアバウトな人だったために「いいよ」と言う事に。
さらに夏目さんはオーディオと車の趣味を持つ人でたのみもしないのに
彼の演奏を非常にクオリティーの高い状態で録音して下さったのです。

「いい感じに録音出来たよ」とニコニコしながら音源を下さいました。

これは僕だからこそこれだけのことが出来るんだよ。という気持ちがありありと
表れた笑顔でした。

ところが、夏目さんの趣味が次の展開を生んだのです。

この音源に目をとめて下さった方が表れてCDを製作するはこびになりました。

それからしばらくの間CD発売記念のライブコンサートを藤沢で行っていました。

しかし、ある日を境にライブ活動をやめることにしました。

理由は誰にも言っていませんでした。
いずれそれが言える時がくればこんなにうれしいことはないと思っていました。

誰にも言えなかった理由は
彼の音楽はこれ以上のびることはない。と思ったからです。

彼の演奏は障害者らしく荒々しいものでした。
それを彼の持ち味だと言って下さるかたが大多数でしたが私は
どうしてもそれが良いとは思えなかったのです。
この状態をずっと続けていけば必ずあきられる時がきてしまうと思いました。
それが活動をやめた本当の理由でした。
当時私も江の島で仕事を始めたりしていそがしくなったこともあり
表向きの理由は仕事が忙しくなったのでコンサート活動は出来なくなった。としていました。

TAKAYUKIはそれでも作曲を続けていましたが、彼の作曲能力のピークもすぎたと思いました。
どれも同じことの繰り返しで、そのうち作曲からも遠ざかって行きました。
そのあたりは自然の流れでそうなっていったと思います。

2012年あたりだったと思いますがピアノのテクニカルな指導をして下さる先生がみつかり
ピアノの基礎的なレッスンをお願いすることにしました。

私自身はナカショーデュオのレッスンだけを行っていました。

TAKAYUKIはソロよりも伴奏の方が本当は力を発揮するのではないかとも思いました。
それならば誰の伴奏をすればいいのか、いろいろ課題はありましたが
とにかくナカショーデュオのコンサートをすることだけを目標にしていました。

私が彼らに求めたのはクオリティーです。

知的な障害者の人が頑張って演奏しているのをまわりはあたたかく見守る
このスタイルが実にきらいでして。

障害者であることが個性になって聞く人がカッコイイと思ってもらえるような演奏というのが
私の理想でした。

ボランティア的な何かよりも私の理想にこだわってしまいました。
TAKAYUKIのピアノにしてもそうです。
あの2006年当時の演奏ではダメだと。
では何が理想なのか。
それがわかりませんでした。
TAKAYUKIの演奏に対して、どうなれば理想なのか私自身もよくわかりませんでした。

しかし彼はヤマハにレッスンに来てピアノを弾くことが大変に好きでした。

特にナカショーのレッスンは非常に気に入っていました。

ナカショーのレッスンはどのようにしていたのかというと
彼らの好きなように弾かせていました。
テンションノートをいやというほど入れて弾いたりタケシも音楽的にひらめいたことを
たくさんやっていました。
それらのアイデアはいいのもあればイマイチというのもありましたが
あえて直さずに好きにさせていました。
そのうち勝手に良いバランスでまとまって行ったのです。

音楽表現において完全に彼らが独自でやっていました。

しかし、あまりにテクニック的にひどい時は鬼の特訓をしましたが
タケシは「もーいいよ〜」と音を上げていました。
しかしTAKAYUKIはそれが大変うれしかったみたいです。

そして昨日2度目のヤマハでのコンサートを行いました。
二人のコンサートです。
実は長い間彼らのコンサートを希望していましたが夏目さん以来店長が変わり
個人的にサロンをつかうことはむつかしいと言われていました。
以前ライブをやっていた藤沢のインタープレイはなくなり場所さがしからしなければ
と思っていたら昨年から新しく音楽教室の担当が小松さんというかたになりました。
するとこれまで行き詰まっていたコンサートの件が、いとも簡単にOKが出たのです。

それからはこちらの思い描いたとおりのことをすべてメールで連絡して
一度だけうちあわせをしましたが10分で終わり。

人によってこんなに仕事のしかたがちがうのかとびっくり。

何から何まで想像以上のできばえでした。

TAKAYUKIが変わったのは今月に入ってからです。

以前横浜で活動をしていて一緒にコンサートをやったことがあり
現在では岐阜で音楽活動をされている増谷澄香先生が
来年岐阜でタカユキ君に出演してもらえないかと連絡してこられました。
それをTAKAYUKIに伝えました。

忘れもしない5月のある日私は増谷さんからの電話で私はこう言っていました。

「彼もね〜ルックスが劣化してしまってお腹もひどく出ているし
顔もしまりがなくなって、ステージでどーなんだろーねー」

知的な障害者は、お洒落に無頓着です。
自分を良くみせようという意欲に欠けます。
長くステージ活動から遠ざかっていたのでもうイヤというくらいメタボのお腹になって
顔も本当にあの頃は本当に若かったんだと今更ながら昔を懐かしむ風貌に変化していました。
10年たつのだから劣化もしかたないな。。。。

そんなことを増谷さんに語っていたのがこの5月。先月です。

ところが、
6月に入ってから3回レッスンしましたが、回をおうごとに彼の演奏が別人のように
変化していきました。
それと同時になんかルックスも。

そしてコンサート当日の昨日思わず目をみはりました。

お腹の肉はどこに行ったの?!

たった2、3週間でこんなに人は変われるものなんだと改めて感心しました。

ほっそりとスタイルも良く以前に増して目が澄んでいい男になっているTAKAYUKI

それに演奏もすっかり変わりました。

最後のレッスンの時、彼の音楽は私の心を動かしてしまいました。

「このままにしておくのは惜しい」と。

そして昨日のコンサートで彼は聴いている人全員の胸をうつ演奏をしました。

このクオリティーを求めていたのだと思いました。

聴いている大人たちはみんな彼の音楽をなんとかしたいと思いました。

ここにきて二人の先生の力が彼を変えたのだと思います。

1人は彼のテクニカルレッスンをして下さっているヤマハの原田先生
もう1人は彼に出演のチャンスを下さった岐阜の増谷先生です。

今少しづつ人の輪が広がっています。

TAKAYUKIがヤマハのサロンで演奏するたびに大きな何かが動くような気がしています。

ようやくTAKAYUKIは
自閉症という個性を持った素敵なピアニストとしてスタートをきったと確信しています。
by melo_pro | 2016-06-26 15:02 | TAKAYUKI | Comments(0)